きっかけは新卒で入社した会社での小休止、水道橋上空を飛んでいくヘリコプターでした。
当時、営業としてテレアポや飛込み営業に早く慣れて成果を上げようと必死でした。任されたお客様は21件。時間を効率的に使わないとすべてに営業対応することは入りたての私にはとても難しいと感じていた覚えがあります。上司は50件から多い人で100件近くお客様をお持ちでした。そのため誰もが営業時間中全力で動き回っていました。
常に働きながら他の社員の方々の動きに目を配り、自分が何をすべきか考えて行動しないといけませんでした。アルバイトで中華料理のホールで働いていた経験から、この辺りは得意だと思っていました。入社した当初だけは(笑)
敬語の使い方だけでなく、電話や日常会話、宅配業者さんへの対応など言葉尻1つとっても時と場合によっては対応時に失礼にあたったり、会社のイメージに関わります。その都度先輩から頭をひっぱた・・・いえいえ、ご指導頂いて
「初めて来る人や話す人にとって、新卒もベテランも関係無い。常にその点を意識して早く成長出来るように何をすべきか、何を話し報告するべきかを考えて行動しないといけない。その上で起きた責任を取るのは俺たちだ。君じゃない。だから知らないことを恥じるな。ためらうな。ミスをしても隠すな。それこそ恥だ。すぐに報告しろ。失敗しない新卒はいない。知るチャンスだと思いなさい。」
ああ、懐かしい。あの時の経験は今でも非常に良い考え方を知る機会と経験になっていると今だからこそ思います。
小さな会社ビルの屋上ドアは開けると小さな踊り場があり、廊下へ吹き抜ける風の通り道となって涼しくなります。夏の営業帰りに冷たいコーヒーを1本自動販売機で買い、帰社してからそこで飲み終わるまでコンクリートジャングルを眺めつつ、社内に戻るのが心地よい時間だったと思います。そんなに高いビルでは無いので、すぐ下で動いている車や人の動きが良く分かりました。あとは同じように周りのビルの中ほどには階段やフロアの踊り場からタバコを吸いに出てくる人や、ちょっと黄昏に出てくる人。同じようにコーヒーを飲みに出てくる人や窓辺で遠くを眺めている人が結構多いのです(笑)
心の中で静かに「お疲れ様です」と唱えてから、相手の視線を邪魔しないように、自分も別の方向へ視線を向けながらだれてコーヒーを飲んで休んでいました。暗黙のルールの様なものがあったのです。この時間が少ないながらも結構貴重で、今後の身の振り方を考えてたりしました。
・とりあえず新卒入社は出来た。だけどこれから定年まで本当にやっていけるものだろうか? この働き方だといずれ体調崩してもおかしく無い気がするのだけれど、大学同期のやつらはもっとバリバリ働いているイメージだし。手に職つけた方がいいな。画像・映像制作なら出来るな。いやいや趣味に毛が生えた程度じゃ役に立たんよ。もっと具体的に、専門的に、あまり多くの人がつけない職人みたいな。手に職つけるなら得 意な分野が良いな。いやいや仕事は夜7時終わりだぞ、これでも上司の方々より早く帰らせてもらってる。ヘトヘトになって布団に倒れこんでいる訳だが。通勤1時間半は結構無理があるから早く1人暮らししないとなあ。出費増えるから貯金しないと。土日に資格勉強するか。でも営業準備で休みが全部使える訳じゃないからなあ。特に長い飲み会のあった後の日は動きたく無くなるからまともにスケジュール建てられるものだろうか。アフター5なんて贅沢なものは無いしなあ。そもそも公務員でもアフター5は難しい時代じゃないか。うーんでもここよりは自分でも入れる他の会社のが良いのかな?でもそんなとこあるのかね?
こんなことばかり考えていました(笑)
そして案の定その後体調を崩すような事態になり、これもきっかけの1つだったのかもしれません。
体調を崩す前、勤務中いつものように踊り場に出て、缶コーヒーを開けて1飲み目で顔を上げた時、正面と左右に周りのビルで休憩する人が結構多くいました。なんとなく視線が重なるのが気まづくなり、振り向いて会社ビルの壁へ向き直ろうとした時にヘリコプターが頭の上を飛んでいました。自衛隊か米軍か分かりませんがブラックホーク?SH-60?の型で市ヶ谷の方へ飛んでいきます。
ああ、飛んでるなあ。今からでも遅くなかったりしないかなあ。いやいや、そんなバカな。無理でしょ。
でもなあ・・・。
私は割と自分のやりたいこと、したいことに忠実に動くタイプかつ慎重に何回もブレーキを踏むタイプです。時間がかかるのです。ですがその時の考え方として「悩んでラチが開かなかったら、とりあえずやってみる」という動き方をしました。体調を復調しかけた時、この考え方で動くことにしました。人生1回きりだ。やりたいなら今動かないと。そう決めた方があとは段取りを考えて動くだけで簡単だったからです。つまり悩んでいる時間が嫌いなだけなのですが。新卒の憂鬱によるものだったか、昔取り損ねたものを取り直したいと思ってからは行動は早かったように思います。ただこの会社に入ったばかりで転職するのはいかがなものか。100%迷惑を掛けることになる。それは駄目だろう。
でも選択肢として、調べるだけなら。と調べ始めることにしました。
大前提として、自分はただの新卒会社員。時間も無い。お金も無い。知識も無いし経験も無い。
家族に迷惑を掛けない範囲で、許容出来る範囲までならお金を使う。いずれ車は欲しかったけど、買うような出費を抑えれば数年後には多少貯金が使えるだろう。それ以上は制限を超えるので却下で調べてみました。
大事なのは飛行訓練が出来る生活環境を整えられるかに掛かっていました。
1.インターネットで会社員からパイロットに成る方法を調べる
・航空大学校へ進学
⇒ 年齢はまだ行けるけど受かった所で先立つ学費は無いし、借金はリスク過多で却下。
・自社養成
⇒ 2010年、当時JALは経営破たんしANA自社養成も超絶狭き門。そもそも既卒不可。うーん却下。
・自衛隊の幹部候補生
⇒ 自衛隊はやはり自分には合わない。却下。(実は少し考えて資料請求していました)
・自費でライセンスを取得
⇒ お?そんな方法があるの?どれどれ ⇒ 2へ進む。
2.本屋の「パイロットにチャレンジ」という雑誌から掛かる費用や期間を調べる
(対象は固定翼パイロット、回転翼は固定翼よりも訓練費が2~3割程度多く掛かる。少しでも抑えたかった)
パイロットにチャレンジ2017-2018 (イカロス・ムック)
・会社を退職しフルライセンス取得を目指す
⇒ 1千数百万円の借金と2年前後の無職期間が必要なので却下。
・会社を退職し事業用ライセンス取得までを目指す
⇒ 当時1ドル79円。海外と国内総額600万以上+α必要で却下。
・会社を退職しJALのB制度受験を目指す
⇒ JALが破たん、ついでにナパの訓練センター閉鎖(まじかよ)で却下。
※B制度とは自家用ライセンシーに対して、ある一定の条件を満たせば訓練生として採用される制度のこと。
・会社を転職し、年収アップして貯金確保のちに目指す
⇒ いずれにしても退職と無職期間があるので却下。
・会社を転職し、年収アップして貯金確保して定年後目指す
⇒ それまで命があるか分からないから却下。
・そもそもこの就職氷河期に転職が可能か?
⇒ 募集要件による。ただし新卒1年目の応募が足かせになる。
・会社を転職し、航空関係で働きながら知識と貯金ためて目指す
⇒ 採用されればありかな? ⇒ 3へ進む。
3.インターネットや「Airline」「航空ファン」「J-Wing」「Helicopter-Japan」「AIR STAGE」など専門誌から求人を調べる
AIRLINE (エアライン) 2019年2月号
・あれ?1つ応募出来る会社があるぞ?勤務地、給与、仕事内容、評判を調べる
⇒ 問題無い
採用方法 ⇒ 面接と論文 ⇒ まあ去年まで勉強してたし何とかなるでしょう
⇒ 4へ進む。
4.調査結果をふまえ、家族に転職について相談しました。
・新卒1年目で転職?! ⇒ その驚き、ごもっともです。
・今の会社は大学の経験も活かせる、やりたい仕事って言ってなかった? ⇒ うん。そこを変更したいなあと。
・よく考えたら?就職氷河期ってテレビでも言われてるよね? ⇒ はい。あくまで採用されたらの話でして。
・それなら公務員への転職目指した方が良いんじゃないの?安定してるし。 ⇒ (!)そっか。 ⇒ 保留検討
ここで公務員への転職方法を調べるも、仕事の合間に受験勉強して、採用されるまで時間が掛かりそう。下手をすると採用されずに30歳に達し、年齢と時間ばかり取られ転職も難しい状況を生み出さないか心配に。航空関係の会社へ転職するメリットを洗い出してみることにしました。
・航空関係会社で働ければ、関係無い会社で働くよりも航空知識を吸収出来る時間が飛躍的に増える。(勤務時間分)
・パイロットや整備士の方からライセンスを取った時の経験談を聞ける機会があるかもしれない。(希望的観測)
・何より航空関係の生の動きが分かる。ちゃんとした企業。
ということを説明し、受けるだけなら無料だし受けてみたら?と家族の了解も得られた。最終的にこの判断が本当に良いのか、もし本当に採用されたらこの会社に大きな迷惑を掛けることになる。そもそも辞めさせてもらえるものなのだろうか?下手をしたら損害賠償で訴えられたりしないのだろうか。(当時、こんなニュースがあったため)
会社終わりにカフェで資料とにらめっこしながら悩み続けました。応募締切の前日までうなってました。応募書類を出したのは締め切り日の前日でしたが、こんな時に限って仕事が遅くなってしまい、今は無きサービス「翌朝10時便」を利用して事なきを得ました。もっと早く動いていればこんなことにならずに済むと反省しつつ。
面接の後、家に合格通知と採用承諾書が届いたのは1か月後のことでした。夜中に母の目の前で「やった!やった!」と繰り返し、喜びを爆発させていたことを覚えています。まずは計画の第1歩、橋頭保を確保出来た。経験も得ることが出来る。あとは貯金と知識を蓄えて頑張ろう。飛行訓練始めるかどうかは25歳までに貯まった貯金や知識を見て、改めて判断する。駄目ならそこで働き続けると。今の会社には自分の気持ちをそのまま話すしかない。
その2日後の休日、採用承諾書を返送しました。昼過ぎだったので関内のサイゼリヤで昼食を取っていました。ミラノ風ドリアとドリンクバー、それとあと1つ何か食べていた気がしますが。もう1杯ドリンクを飲もうと立ち上がろうとして、体を大きく右に持っていかれました。いや、足が左に持っていかれたというのが正しいです。東日本大震災が発生した日でした。